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今回は「宇佐神宮という蜃気楼」の5回目、第4章です。
なお、前回までのストックは、下記の目次に掲載しています。 --------------------------------------------- ■「宇佐神宮という蜃気楼」 ~道鏡事件とは何だったのか~ --------------------------------------------- 目次 【はじめに】・・僕のめじろん魂 *発信済みです。 http://oitablog.jp/keima/archives/488/ 【1】なんでも「民」 *発信済みです。 http://oitablog.jp/keima/archives/489/ 【2】道鏡事件のあらすじ・・・わらしべ長者の歩道橋 *発信済みです。 http://oitablog.jp/keima/archives/496/ 【3】道鏡事件の流れ・・・蜃気楼と蜃気楼 *発信済みです http://oitablog.jp/keima/archives/508/ 【4】ハードルを消した称徳女帝 *発信済みです http://oitablog.jp/keima/archives/511/ 【5】かぶれちゃったイケメン勝ち組、藤原仲麻呂 【6】ご先祖様と弟も登場しちゃった道鏡 【7】姉ともども真面目一本、和気清麻呂 【8】それぞれの謎解き・・・文献から 【9】ホームズはいつからの手紙 (1)最初のお告げが偽造なのか (2)2度目のお告げが偽造なのか (3)女帝の怒りの正体 (4)2つのお告げは矛盾しているか? (5)宇佐神宮の果たした役割 【10】飛び込んできたニュース 【おわりに】・・・僕とかみさんの会話 【参考文献・資料】 --------- 【4】ハードルを消した称徳女帝 あらすじでも述べたように、称徳女帝の父は大仏を造った聖武天皇だ。母は光明(こうみょう)皇后。 聖武天皇は自分は「三宝の奴(やっこ)」つまり「仏様の奴隷」だと言い切ったほどの熱心な仏教信者だった。 また、奈良時代は律令制度が整い、天皇の権力が最も強かった時代だと言う研究者もいる。 実際、聖武天皇は 「天下の富をたもつ者は朕(ちん)なり。」と言い、 「天下の勢をたもつ者も朕なり。」と宣言している。 我が家で言えば、すべての財布の紐とすべての印鑑を握るかみさんである。 なんと恐ろしい。 いや、素晴らしい。 ごほん。 話を戻そう。 聖武天皇の宣言は、強大な権力をもっていたからこその言葉であり、 だからこそ、地球上最大の金属製仏像である奈良の大仏を造ることができたのだ。 「はじめに」でも述べたように、この大仏建立に宇佐神宮が大きな役割を果たし、 その際に、歴史上初めてのおみこしが登場する。 この点については後ほど詳しく迫りたい。 仏教を深く信じていた父。 では、母である光明皇后はどうだったか? 彼女こそ、東大寺や国分寺の建設を、夫である聖武天皇に進言した人物なのだ。 そういう意味で、聖武天皇より熱烈な仏教信者だったと言えるかもしれない。 また、その精神から、貧しい人に施しをするための施設「悲田院」や医療施設の「施薬院」を造っている。 こういう両親を見てきた称徳さん。 彼女には、仏教を信じる素地が充分すぎるほどあったはずだ。 ゆえに、彼女は僧である道鏡さんを信頼し、師ともあがめ、高位を与えていった。 僕にだって、ここまではよく理解できる。 しかし、前章で述べたように「法王」という地位は尋常ではない。 これは、天皇とほぼ同じ待遇を受けられるほどの地位だ。 なにせ、あの伝説のヒーロー、聖徳太子と同じなのだからすさまじい。 若い方はご存じないかもしれないが、わが国最初の一万円札の肖像は聖徳太子だった。 ちなみに当時の五千円札も聖徳太子。 一人で高額紙幣肖像画のワンツーフィニッシュをとるほどのヒーローだ。 もちろん太子は皇族であり、天皇になっていてもおかしくない人物だった。 だから天皇に準ずる法王になることに、何の障害もなかっただろう。 しかし、皇族でない道鏡を法王にするには、かなりの抵抗があったに違いない。 だが、彼女は道鏡を法王にした。 言葉を換えると「法王の民間化」とも言える人事を断行したのだ。 いくら仏教に帰依していたからと言って、これは大きなハードルだっただろう。 なぜ、彼女はこのハードルを越えることができたのか? 道鏡さんに対する愛情の深さゆえとしている書物もあった。 たしかに称徳女帝は道鏡さんに恋愛感情を抱いていたかもしれないし、 時として、あばたさえエクボに感じさせる恋は絶大なパワーを発揮することも事実だろう。 愛にいたっては、地球だって救っちゃうのだ。 しかし、「法王」という地位は、感情だけで越えられるようなハードルだとは、とても思えない。 僕は、その素地も、それまでの女帝の人生に作られていたと考えた。 それは、前述した母、つまり、光明皇后に大きく関係している。 実は、光明皇后自身、「民間人出身の皇后」第一号だったのだ。 光明皇后以前の皇后は全部皇族だった。 光明皇后は大きな権力を持つ貴族・藤原氏の出身だ。 だが、大貴族とはいえ、もちろん皇族ではない。 そういう点で、あくまでも民間人だ。 藤原氏以前にも、小学校の教科書に出てくる蘇我(そが)氏や物部(もののべ)氏などの有力豪族も、 娘を天皇に嫁がせることはできた。 しかし、皇后という地位につかせることはできなかった。 だが、藤原一族は違った。権力に陰謀(たとえば、長屋王の変)を絡ませ、 民間出身の皇后第一号を作り出してしまったのだ。 こうして「皇后」というハードルは消えた。 その後、光明皇后は甥っ子である藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)という人物を引き立てる。 なんと、その仲麻呂さんは太政大臣にまで出世してしまうのだ。 太上大臣とは律令制度の官僚最高位であり、仲麻呂以前は、これまた、すべて皇族のみが就任できた地位だ。 つまり、仲麻呂さんは「民間人出身の太政大臣」第一号となったのだ。 こうして「太政大臣」というハードルも消えた。 第一号と言えば、まだ、ある。 称徳女帝自身が、実は「女性皇太子」の第一号なのだ。 それまでの女帝は、野球で言えば中継ぎやリリーフ、あるいはピンチヒッター的な存在であり、 将来の天皇を約束された女性の皇太子は存在していないのだ。 しかし、聖武天皇と光明皇后は娘を皇太子にした。 こうして「皇太子」というハードルも消えてしまった。 驚くなかれ、称徳女帝は「皇后」「太政大臣」「皇太子」という聖域が先例を壊され、 革命的に変化する渦の、その、ど真ん中にいたのだ。 彼女が道鏡さんに法王の位を与えたこと・・。 それは、これまで見てきたように、先例にとらわれぬ環境にあった彼女にとって、 実は、ハードルとも思えぬものだったのかもしれない。 もう一つ、さらに重要な事がある。 称徳天皇は、実は2度天皇の位についているのだ。これを重祚(ちょうそ)と言う。 重祚自体は前例がある。 同じ女帝の皇極(こうぎょく)天皇が重祚して斉明(さいめい)天皇となったことがあるのだ。 ちなみに、あの有名な大化の改新の中大兄皇子のお母さんだ。 だから、僕が言った「さらに重要なことと」は重祚のことではない。 では、もったいぶって、説明しよう。 初めて即位した時、彼女は孝謙(こうけん)天皇と呼ばれた。 しかし、即位はしたものの、母である光明皇后が体調を崩してしまう。 それで、母の看病をするために、皇位を譲ることを決意する。 だが独身であった女帝に子どもはいない。 結局、血縁のやや遠い淳仁(じゅんにん)天皇に皇位を譲り、彼女は孝謙上皇となる。 母の死後、彼女は、政策や道鏡さんへの接し方などで、淳仁天皇や仲麻呂さんと対立するようになってしまう。 天皇と上皇だから、それこそ、最高の権力闘争である。 孝謙上皇は、その権力闘争に勝ち残る。 そして、政敵となっていた淳仁天皇を廃することに成功する。 そして、自ら2度目の即位をして称徳天皇となったのだ。 これは、ものすごいことだ。 現天皇からその位を奪い、自らが天皇に返り咲いたのだから・・。 こんなことは、称徳さん以前は、もちろん一度もないし、これ以後も一度もない。 「天皇をやめさせることができる力を自分は持っている。」 称徳さん、そう、考えたかもしれない。 「ならば、天皇を作ることも出来るかもしれない。」 もしかすると、そう考えたかもしれない。 だとすると・・・。 そう、彼女が道鏡事件を仕掛けた可能性も否定できない・・。 あくまで「可能性」だけどね。 (注:前述したように、名前による混乱を避けるため、 このレポートでは支障のない限り、 「孝謙」という名を用いず「称徳」という名で通してきました。 けれど、ここまでくれば、皆さんも、かみさんも道鏡事件通です。 もう、混乱することもないでしょう。 それで、以後、「孝謙(=称徳)天皇」というような記述に変えます。) さて、新たに名前の出てきた「民間太政大臣第一号」の藤原仲麻呂さん。 この人も道鏡事件に深く関わっている。 次章では、仲麻呂さんにスポットを当てます。 グッドラック、ホームズ。 (つづく)
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