セイさん悪戦苦闘記

士業のセイさんが悪戦苦闘する実態を書きますので、よろしくお願いします。

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神と人について

 昔西田哲学に傾倒していた頃があり石川県のかほく市宇ノ気に何度も行きましたが、この頃、ふと哲学的な発想が湧いてきたので、以下にまとめます。

 世の中に、「作る物」と「出来る物」がある。「作る物」は主に人が手を加えて文字通り作る物であり、「出来る物」は、ある作用因によっておのずから成る物であり、その作用因の総体をここで神と考えるものとする。

 したがって、「作る物」を作る人も、元々「出来る物」としてそこに存在するのであるから、神により成った物である。

 ここで、具体例を考えてみよう。

 「作る物」としては、ビル、家、道路、電灯、車等々がある。すなわち、人為的な物の総体である。

 「出来る物」としては、山、海、大陸、川、嵐等々である。よく、人が高い山を神とあがめ、海をあがめ怖れてきた意味が理解できる。

 では、戦争は人間が作るのか、それとも人間の人性により戦争になるのか。

 作る物であれば、停められるし、成る物であれば、人知では解決し得ず収束を待つべき性質のものである、ということになる。

 経済面における貧困や、人本来の区別意識等により「成る面」が多いとは思われるが、これについては人はその「成る」要素を極力学習し、「作る」すなわち平和を作る方向に動くべきであろう。

 戦争を「成る物」と考えるのは、一面で正しいのかもしれないが、それを出来うる限りにおいて「出来る物」として抑制する努力をすることが、神が人に課した最大、かつ永遠の課題だと考えるものである。

 



 
     

     
 

士業という紙細工

士業という紙細工

白紙に向かって頭をひねる

文字という道具を駆使して

美しい物を作るんだ

正しい意志を込めるんだ

正しい物は美しく

お礼を受けて一休み

今日も朝から紙細工

これで誰かが喜ぶだろう

士業という紙細工

いい職人になりたいな



 
     

     
 

夾竹桃

      遅れ咲き

        夾竹桃

    燃え  

  盛りけり

 

          風信子(ふうしんし)



 
     

     
 

八月尽5首

つづきたる炎暑にさへや日月は移ろふらしも
庭に虫鳴く

夥しき蝉のむくろが庭なかに散らばりをりて
八月尽くる

友人の兄の訃報をきくにつけわが身辺に老し
のび寄る

健かにゐるのみで良しさしあたり欲る物もな
く仕事してをり

窓外に疲れしごとく葉を垂れて桜の老木夏を
越えをり



 
     

     
 

黄月忌

黄月忌めぐり来りぬ成長のなき己をば戒むるごと

この世にし命生きゐるありがたし秋立ちし日の未明しづけく

わが心ゆらぐはあはれをりをりに萌す危機あり省みゐたり

深酒に溺れしわれは自らを律し得ぬまま時を過ごしき

暑かりし夏逝きて時移ろふか雷うち響き夕べ雨降る

つつましく生きをりわれはゆくりなくスルメを焙り食ひたく思ふ

台風の余波ふきをりてむし暑き未明の部屋に独り打坐する

空を飛ぶ夢すさまじく覚めしかば余韻のつづく未明の床に

息をする如く日毎に歌詠みて歌の良否をことさら言はず

いづこへか旅に出でたく道のべに紅く燃えゐるカンナを過ぎる

  注;黄月忌は、歌人佐藤佐太郎の忌日で8月8日です。最終歌集

    「黄月」に因んでいます。