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昔西田哲学に傾倒していた頃があり石川県のかほく市宇ノ気に何度も行きましたが、この頃、ふと哲学的な発想が湧いてきたので、以下にまとめます。 世の中に、「作る物」と「出来る物」がある。「作る物」は主に人が手を加えて文字通り作る物であり、「出来る物」は、ある作用因によっておのずから成る物であり、その作用因の総体をここで神と考えるものとする。 したがって、「作る物」を作る人も、元々「出来る物」としてそこに存在するのであるから、神により成った物である。 ここで、具体例を考えてみよう。 「作る物」としては、ビル、家、道路、電灯、車等々がある。すなわち、人為的な物の総体である。 「出来る物」としては、山、海、大陸、川、嵐等々である。よく、人が高い山を神とあがめ、海をあがめ怖れてきた意味が理解できる。 では、戦争は人間が作るのか、それとも人間の人性により戦争になるのか。 作る物であれば、停められるし、成る物であれば、人知では解決し得ず収束を待つべき性質のものである、ということになる。 経済面における貧困や、人本来の区別意識等により「成る面」が多いとは思われるが、これについては人はその「成る」要素を極力学習し、「作る」すなわち平和を作る方向に動くべきであろう。 戦争を「成る物」と考えるのは、一面で正しいのかもしれないが、それを出来うる限りにおいて「出来る物」として抑制する努力をすることが、神が人に課した最大、かつ永遠の課題だと考えるものである。
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